フランス人とハープ「ヤネラ」または、「クリオーラ」Les français et la harpe « llanera » ou « criolla »
40年以上前となりますが、パリへ上京した際、ヤネラ・ハープに興味を持ちましたが、すでにベネズイラ・ハープへ導かれたJean-Jacques Golickiの思い出が残っていました。
彼は、有名なハープ奏者Juan vicente Torrealbaの助けで、"Banco Largo"というハープを選びました。彼は、昼間は、Sentierの家業の衣料関係の店で働き、夜は、ミュージックバーで弾いていました。この疲れる多忙な2重生活が、1967年に心不全で37歳 に亡くなる原因になったとも言えます。才能ある、寛大なミュージシャンとして記憶されています。